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畦道散歩


No,41 2012/3/5
 いよいよ私も、どの人も迎える「老人はきえゆくのみ」の歳となりました。昨年の腰の手術も1年を経て順調に推移、これからは一層自分の健康に留意して参りたいと思っております。
 思えば吉徳農機に入社した時は、丁度開発されて2年目に入った歩行型溝切機が脚光を浴びかけた頃で、まもなく某販売店より当社の軽い歩行型溝切機をみて、これを母体に深層追肥機の開発の話がり、現地農家の声を聞きに農家宅まで周り、情報集めをし、要望にそった試作機の改造に何度もお店と往復したりして工場の方々に溶接その他の協力を頂いたお陰でわずか2ケ月足らずで製品化できたときには大企業には出来ない中小企業の開発力の芸当を見せ付けられ、大変な驚きを感じたものでした。
 溝切機・除草機については搭載エンジンや型式が変わる毎に、毎年まだ田んぼに薄氷の残る冬の2月末、営業全員が参加して圃場テストするのが恒例のようになっていたが、薄氷を踏むときに聞いた快音は子供心が呼び起こされ懐かしい思い出になって今も残っています。
 またある日、突然、北興化学工業(株)とデユポン(株)両農薬会社の訪問を受け、小型機械でありながら最新技術の半導体が組み入れられた完全自動操作の混合機が県内で早くから造られていたことに驚かれた由で、県内魚沼のJAで当社のオートリバース混合機が使われているのを見て、早速、県農業試験場が試験調査し、当社のオートリバース混合機が他社を寄せ付けない抜群の混合性能がわかり、小型機械でありながら最新技術の半導体が組み込まれた完全自動操作の混合機であること等で現在「全国農業改良普及協会」が、緊急テーマとして検討している育苗の種子消毒について、先行き農家の育苗離れが益々進むとJA依存の育苗施設は更に大型化となり河川に流れ出る大量の消毒液の廃液で河川の環境汚染問題が高まるとの危機感から、平成元年に立ち上げておられるシステム研究会に是非メーカーとして参加方のお声を頂いた。メンバーである全国の改良普及所に配置したオートリバース混合機の開発モニター機で湿粉衣から育苗、収獲まで毎年、研究データーの検討会が催され、現場から上がる機械の改良要望さらには農薬と作業技術のノウハウ等ご指導を仰ぎながら10年にわたる研究で漸くオートリバース湿粉衣システム機RXF-180型が完成、実施段階に入り、今日では全国の育苗施設に導入されるに至ったこと等、仕事上で忘れえぬ思い出が走馬灯のように浮かびます。
 仕事を離れては毎年秋の社員旅行では北海道から九州まで数え切れぬ沢山の温泉観光地での忘れえぬ楽しい思い出を残して頂いた事です。
「畦道散歩」執筆は今回をもちまして終わらせていただくこととなりました。皆様には長い間下手な文章で読みづらい思いをさせていたことと深くお詫びを致しますとともに、御笑覧頂きましたことに厚く御礼を申しあげます。次回からは私に代わる新しい執筆にご期待下さり、変わらぬご愛覧をよろしく御願い申しあげます。



No,40 2011/3/31
 謹んで地震・津波による災害のお見舞いを申しあげますとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
 人々が平和な生活を営んでいた3月11日午後2時46分、マグニチユード9.0の巨大地震。そして間もない10分後に10メートルのコンクリート防波堤までも乗り越えて襲って来る大津波。海岸から押し寄せる海水が街中を猛り狂うが如く走り回り、街中の車、家屋、係留漁船まで、次々と飲み込んで破壊して行く様の恐ろしさ。テレビ放送で知った津波の猛威と破壊力にただただ驚愕して言葉も出ないほどです。
 昔、小学校の国語の時でと思うが小泉八雲(Lafcadio Hearn )の小説「稲村ケ崎」の文中に書かれていた、海岸の小さな漁村での出来事だが地震後に襲って来ると思われる津波から村人達が裏山に避難し、襲い掛かる津波が村をのみ込んで行くという一節の光景が思い出され、今度のテレビ放映で見る生々しい現実の光景とが重なって今更ながらに津波の恐ろしさと被災された方々の深い悲しみに胸が痛みます。
 地震に津波、そして更に原発避難と考えられない被災に遭われ、遠く離れた新潟へも多くの方々が避難されてきております。故郷を離れ窮屈な施設での避難生活で本当に心が痛みますが、ご家族の無事とご健康を心より願わずにはおられません。一日も早い復興をされて、また懐かしい故郷で明るいご家庭に帰られることが出来ますよう心よりお祈り申しあげます


No,39 2011/1/17
   今年の新潟は年末から雪を見る日が多く寒冷前線が流れ込むせいか正月から雪のちらつく寒い日の年明けとなった。鏡開きも過ぎた翌日の12日は夜来から風雷の音を強く感じていたが朝起きて窓越しに見ると15cm近い雪積。朝の通勤は車の渋滞でバイパスに出るまでに倍の時間が掛かった。午後は雪も止み除雪車のお陰で表通りは雪も溶けて平常運転でスムーズに帰れた。が、それもつかの間、14日はまたまた26cmの積雪を見る大雪。更に15日には降り続く雪で50cmのスキー場並みの積雪となった。もう庭も車も道路も、勿論我が家も深い雪国風景にすっかり変わった。
 新潟に転居した頃、数年大雪に見舞われることがあったが、ある顧客のお店で庭に積もっている雪景色を「詩的で風情があっていいですね。」といらぬ声を出したのを今も覚えている。その方から「雪は平場ではあまり多くないほうがありがたいんですが、しかし雪のお陰で長靴やスコツプが売れるし、雪おろしのあとに頂く蕎麦で蕎麦屋さんが大繁盛したり、またスキー場の旅館や民宿へ農家が漬物を納めていて冬の良い副業にもなっている。」等など、雪は雪国では生活経済に深い結びつきのあることを聞き、良い勉強をさせてもらったことを思い出す。独身時代冬はスキーで新潟には妙高高原まで来たことがあるが、新潟と雪にはその頃からご縁があったのか。
 スポーツには縁遠くなった今日、雪かきもできず、リハビリの散歩にも出られないことでは、ただただ少雪を願い、雪融けの春をじっと待ち、越冬している虫と同じ心境に似ているかも。そういえば早、沖縄では今年の豊作を願いながら田植えが始まったとの便りが。


No,38 2010/9/28
   9月も中旬を過ぎようやく秋の季節を感じさせるコスモスの花や誰が植えたのか彼岸花がいつもの散歩道で見られるようになった。今日は台風一過で珍しく夕日が雲を赤く染めぬいて空全体を一際明るくさせ、歩く足元も軽やかに思える。
 思えば今夏珍しく姪の主人より電話を頂いた。会社退職して退職者の方々の親睦会に入り、今年は自分が当番となって「新潟の夕日観賞と街の夜景に浸るツアー」で一行を連れ新潟旅行する予定とのことであったが先日再度電話があり、日本海にゆっくりと沈み行くとてつもない大きな太陽の神々しさに感動感銘を受けたことや、万代橋と信濃川のゆったりした落ち着いた風景、更には古町界隈の夜の町並み情緒にもひたり、新潟ならではの新鮮なおいしい料理に与った等々、最高の思い出旅行だったと一行の方々より喜んで頂いたとの内容だった。やはり新潟の夕日には胸を打つものがあったようだ。 思い留まってみると、新潟の人が佐渡旅行をあまりしないのと同じように観光都市京都でも地元の人は街中を歩いていても中々横道にある文化遺産へ立ち寄るてなことはほとんどしない。どこも地元の人は直線行動が多く、立ち止まり足元を見ることが失いがちであると思う。
 新潟も「新潟大和」の閉店で中核店が消えたと商店街は大変なことになっている。新潟の街の活性化には新潟へ如何に人を集めるかにある。是非、夕日観賞を軸において県外からの集客、観光誘致を考えてはどうだろう。新潟海岸を整備しトワイライトロードとしての観光ロードを軸にして、自然・遺産・食文化・娯楽・イベント等、有機的に包括した宣伝企画PRをもっともっとしてもよいのではないか。天が与えてくれている只の資源をもっと生かさない方はないと思う。


No,37 2010/8/23
   この夏の新潟は他県と同様特別で、連日35度以上のスーパー猛暑に包まれて参った。暑気にあたりながらドラッグストアで「ひんやりネックバンダナ・・・しろくまのきもち」を買いに走るほど高齢者にはこたえた。
 早いもので小生、この8月で術後6ヶ月になる。経過は順調。日課のリハビリ散歩は酷暑の日中は避け、もっぱら日の傾いた日暮れに「川端散歩」をするようにしている。夕焼け空を見ながら向かい風に吹かれて歩くときは程よい風で心地よい。散歩も宵闇にさしかかった頃、あづま屋で一服していると、中空に浮かぶお月様が風で揺れる側の柳の葉陰から顔を見せる。一幅の絵を見るような感傷にひたる。付近のたんぼの稲穂も出揃って早いものは穂の色が黄金色に垂れ下がっている。この調子なら9月初めには稲刈りの風景が見られよう。
 特にいもち病に強く農薬散布の労力軽減になり、消費者にとっても減農薬から安全でおいしいお米といわれる有難い効能の新ブランド「新潟コシヒカリBL」が県や農協の指導で5割を占めるまでに普及してきたとか。今年の異常気象には心配も多かっただろう。ロシアを初め世界の国で食料不足の声が出ているだけに何と言っても豊作であって欲しい。喜びの秋の収穫時期は目の前。本当に待ち遠しい。


No,36 2010/6/22
   今年は冬の間、長い休暇を取らせていただいた。術後の経過も順調に進み、現在リハビリ療養中ながら再び午前中会社へ顔を出し、微力ですが机に座りパソコンと向かい合うことが出来るようになりました。長い休暇中会社の皆さんには大変なご心配をお掛けしまし、又お客様にもご迷惑をお掛けしたのではないかと、茲に深くお詫び申しあげます。
 現在は退社後や週末は雨の日を除き、近くの散歩道を体調にあわせコース距離を変えて散歩を日課にして、リハビリ努力をしています。コルセットをしての散歩のため距離も1kmから2kmを数回休憩を取りつつ杖をふりふり少々足巾を広く取ってリハビリ散歩をしています。散歩コースといっても家の近くを歩いているのですが、十数年前に阿賀野川から鳥屋野湖に流れる農業用水路が大雨で溢れ、我が家も床下浸水して近所一帯大騒ぎをしたことがありましたが、これが転機でこの用水路が埋め立てられて跡地は公園道路に衣替えし、新たに住宅街と東北自動車道との水田地帯を真っ二つに割って川幅を広めた農業用水路が新設され川の両側には植林もされ、且つ数百メートルごと休息用のあずま屋も設置されて阿賀野川の用水取入口まで続く散歩道に生まれ変わった。
 水田の真ん中を走る散歩道を歩くと片側に住宅地、片側に高速道路の車が走る。川辺の道路脇には柳の木が風になびき水路の遠くに小中学校の校舎や、市の庭球場が散らばる。連日散歩しながら田園の稲の伸びの早さに感心したりこの日曜日には溝切を始めた農家の姿を遠目に川面に時々一尺前後もある鯉が数匹、ゆっくりと浮かんでいるのを見たり、庭球場の近くではテニスの音で昔の頃をなつかしく思い出されたり、あずま屋で休息中ぽっかり浮かぶ雲が亀に似て笑いが、飛ぶ鳥の姿を何となく目で追いかけたり、涼風が頬をなでる感触に浸ったり等、自然体で自分の時間を費やせる贅沢を味わっている。リハビリ散歩をして丁度自宅のほんの近くに環境の良い散歩道が出来ていたことに今更ながら感謝している。


No,35 2009/12/14
   新潟、山形、福島3県にまたがる飯豊山(2,105m)連峰に真っ白い雪が朝の光に映えて通勤の車窓越しに美しい姿を見せる。はや11月も下旬である。新潟亀田から新津へ走る一直線の新津バイパス脇の電光板は気温4℃を示す。一面の田圃には瓢湖から来た白鳥の群れが数十羽づつグループになってあっちこっちでエサをついばむ姿が見られ、新潟もいよいよ冬の到来の近いのを実感する。
 今年の新潟は「愛と義」の大河ドラマ「天・地・人」の影響でかつてなく盛り上がった。県内の「直勝・兼継」ゆかりの地域ではこれにあやかろうと各種の催しや観光宣伝が盛んに行われた。新潟県の歴史文化を見直そうというこれら風潮に日本海側で初めての政令都市となった新潟市も「水と土の芸術祭」と銘打って一大イベントを開催した。期間は7月から年末一杯の12月末日まで。内容は多彩で地域の祭や伝統芸能を中心に8月の民謡流し、花火大会、食のイベント、屋内外の芸術作品展、更には土と水が築いた文化アート等、数々の展示イベントが続いて実施されて来た。
 毎日通勤で通る新津バイパスでもインドネシアの農村では水田に風を呼び込んで豊作を祈る為の風車だそうだが、インドネシアの子供達が作った1,000本のカラクリ風車が並び、竹の先に飾られたウサギさん、クマさん等の人形が連日風に吹かれて、コロコロ、コロコロと廻り、運転者に快い竹の音を聞かせてくれた。
 新潟市歴史博物館では19世紀までの蒲原平野のプロローグの中で「機械化農業の先進地=脱穀機王国の新潟」で米の生産に多大の貢献をしたと「新津式脱穀機」の展示出品の栄を頂いたことは忘れられない年でもあった。丁度日本の農業が戦前の農具時代から戦後の機械化農業へ移り変わるその道を切り開いていった一つが脱穀機でもあっただけに農業史に残る1ページを飾った機械でもあったと思う。
 「水と土の芸術祭」と共に臥薪嘗胆の2009年は終わる。めくり来る2010年は日本農業の復調を迎える新しいページを開く年であって欲しい。
   



No,34 2009/9/28
   9月の大型連休を利用して京都から来潟する孫娘の出迎えに土曜の朝、亀田駅まで出向く。我が家に近い学校周辺は一面田圃が広がり、9月初めに関東から東北にかけ吹き荒れた台風ですっかり黄金色した稲穂は倒伏し無残な風景に様変わりしていた。
 車に乗せて、帰る頃には快晴の秋晴れの下、コンバインが快音を立てて稲刈りする一帯の田園風景を始めてみて感動したのか、丁度学校近くで道路脇で動くコンバインを見て真近で刈り取られる様を見たいと言い出し、邪魔にならぬ位置に車を止めて、倒伏した稲を刈り込んで進む様子を見学した。
 コンバインの前面下の刈り刃が倒れた稲をドンドンと刈上げ、刈られた稲束を駆動するチエーンで後方に搬送しながら稲束の先の稲穂を脱穀し、一方で取った籾はタンクに貯蔵され、コンバインの後方に移送された籾を取られた稲藁を細切れにカツトして田圃に落として行く一連の機械の動作には感動したようで、真近に見た背丈以上もある機械の大きさに圧倒されたこともさることながら、その作業の素晴らしさには見ている自分さえ強い印象を受けた。特に脱穀してコンバインのタンク内に貯めた籾を7〜8mもあろうか長い搬送機で田圃から道路脇に止めてあるトラツクに送り込んで行く様子をみた時は大きな感嘆の声をはりあげた。
 昨今、食の大切さから日本の農業についての関心は農村のみならず、都会の人も子供たちにまで浸透しているようだ。そんなことからも都会では滅多に見られないものを見られたことに大満足したようだ。春は田植え機での田植え風景を見、今秋は稲刈りの収穫作業を真近に見て貴重な職場見学をさせてもらえたのは幸せであった。土と水と太陽そしてこれに関わる農村の一面を今度の帰省で機械による稲刈りを通じて真近に実感したといって帰っていった。
 今年の長梅雨や収穫時の倒伏等、心配の多い年であったが、刈り取り最盛期を迎える、お米の収穫成績は!一等米比率は!農家の人の笑顔を期待したい。


No,33 2009/8/11
   三条から栃尾への山越えする道は山間より流れ来る清流を集めて流れも速い。川沿いの村落をいくつか通り過ぎていくと、やがて加茂・五泉方面と栃尾方面に分かれる山間の村、下田村が広がる。一帯は山と山に挟まれて、その山々を縫うように川が流れ両面に田んぼが広がり、たんぼと山林の間に点在するように家が在って、その家々を結ぶ糸のように道が通っている。昔からある山村の原風景である。
 この景観を望む山際に建つ「諸橋轍二記念館」。道の駅の側に建ち解りやすい。建物内には日本の国語辞典の編纂者として偉業をなしとげられ、又日本文化の発展に多大の功績を残された人でもある諸橋轍二博士の諸々の遺物を見学すると共に館の裏庭にある風雅亭、望月亭等をめぐり歩いて行くと博士の生家にたどり着く。特に生家の手前の庭園から見る眼下に広がる下田村の風景は閑寂の美しさを感じる。博士がこよなく故郷を愛し、ふる里を恋し慕われた歌々の心情に少々酔って山里を後にした。
 昼食に立ち寄った道の駅で思わぬ思い出が出来た。


No,32 2009/4/14
 
   「すごぼり桜並木」。うららかな春の日の土曜日、妻の買い物のお供(本当は運転手代わり)で近くのスーパーに立ち寄ったところ、急に思い立ったようにお花見に行こうよと花見弁当を購入する。
 我が家から2〜3キロ位だろうか、用水路際に植えられた桜も見事満開だろうと、亀田方面へ農道を走る。咲きほこる桜の木々の間には早くも車が停められていて桜見物に来られている人の多いのに驚く。早速、適当な場所を見つけて車を停め、草むらにシートを敷き、お弁当やお茶を並べ足を投げ出して座る。ピンクの花が頭上を覆う。目の前に何本もの垂れ下がった花枝が風に吹かれて「今日はようこそ花見に来てくれてありがとう、どう私の姿?」「こんなに近くで見つめられると僕のほうが照れるなー!!」風で花枝が肩に当たる。花が頬に触れる。よく見ると桜の花はテニスボール大に固まって花が付き串刺し状に枝に連なって咲いている。この枝が山のように枝を張って花をつければ優雅で美しいのは比をまたないが、一つ一つのはなを見ていると実に可憐な風情を感じる。か弱さにふーと夢二の美人画の顔に漂う風情が浮かんだ。
 そう言えば、以前オートリバース種子粉衣機の最終検討会が岡山で催された時、帰り列車の時間待ちを部長と二人お城や夢二館を忙しく見て廻った時のことが合わせて浮かんできた。丁度今頃だったのか。「このダンゴおいしいわよ」と急に横から妻の声に皿のダンゴに手が伸びた。


No,31 2009/1/13
   明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくご愛顧のほど、お願い申しあげます。元旦のお屠蘇を頂いた後、年賀状を読みながら顔を思い、去りし日の懐かしい思い出に時間が流れる。
 ふとある文面に「この3日はライスボールに行きます。」とあり目が留まる。ライスボールって何?ライスとあるのでお米に関する何かの会合にでも行くのかなあ?程度に思っていた。2日・3日は正月恒例の箱根駅伝のTV。なんと驚くなかれ、優勝したのは候補の噂にもあがっていなかった東洋大学が往路・復路共に優勝のしかも初優勝の快挙に喝采した。更に4日目の朝刊では一瞬目を疑った。わが母校が優勝候補で連覇のパナソニツク電工を破り、5年ぶり3度目の日本一に勝利したと。それがあの年賀状のライスポール(通称アメフト:アメレイカンフツトボール)だった。アメフトと分かっていれば早々と応援の気持ちも沸いたろうに。うかつだった。最近スポーツに関心が薄くなったのも年のせいなのかも。
 今度優勝した監督の話では「よもや一番弱いチームといわれていたのが試合毎に選手各員が力をつけてくれた結果だと思う。」箱根駅伝の東洋大の監督も同じように優勝するとは考えられなかった。信じられない思いと口走ったが、今年は年の初めにふさわしい大きなエネルギーを頂いたように思う。前向きに努力と頑張りでこの新しい年に向かって行きたい。今年一年皆様の益々のご健勝とご活躍をお祈り申しあげます。


No,30 2008/11/13
  11月初旬の爽やかな快晴の日曜日の朝、町内会の行事になっている「ふれあい公園」に顔を出す。もう70人から80人の方々が参集され、公園内の草刈に従事されていた。丁度10年前の8月豪雨でこの付近一帯が床下浸水した。勿論我が家の車もマフラーまで水があがり、あわやというところであった。これを機に一帯のゼロ地帯を対策とすべく市が新しく川幅を3〜4倍広くした立派な農業用水路をつくり、旧の用水路を埋め立てその上に遊歩道を作り植栽した一角を公園風に衣替えされ、見違えるほどの立派な散歩道になった。小生も昨今運動不足の解消にと2キロ以上はあろう道を散歩道に使わせてもらっているが、植栽の間に生える雑草は中々頑固で春から2ヶ月毎に町内会の行事の草刈に参加させてもらっている。ふれあい公園から学校を1回りして新設の農業用水路脇の散歩道へ出ると、一帯は田圃で春から秋にかけては稲の成育を見渡しながら蛙鳴、蝉鳴を聞くうちにいつしか黄金色に輝く稲穂が風にそよぎ澄み切った青空に飛ぶ鳥の声を追いかける等、季節の素晴らしさの充実感を感じる日も多い。散歩の途中、足を止めて川辺に設置された腰掛にひと休みし、川面を眺めると1尺を越す大物の鯉があちこちに見える。水の流れが緩いせいかじっと浮いている。川下の鳥屋野湖から登ってきたのだろう。じっと見つめていると泳いでいるようで浮かんでいる。悠然としている姿は一服の絵になる。「動中に静有り」と座右の銘が頭を過ぎる。ついぞ忘れていたぞと自分を見直す。散歩の楽しさもこんな所にあるのだろう。


No,29 2008/8/25

暑い新潟の今夏もお盆休み後は低気圧が移動してきて連日30度を大きく割る日が多く、夜は秋をしのばせるほどの涼しさになった。夕刻涼しい風を感じながら水田の広がる散歩道を歩くと、黄色味を帯びた田園のコシヒカリにはすっかり花も終わり頭をたれる稲穂に変わっていた。今年は高温が続く中、夜は気温が下がる、稲の成育にとっては好条件の天候であったことから豊作の年になろうと予想されている。世界の食料高騰の背景で、今年は農家にとって元気づけの年となることを期待している。
 稲刈り時期を前に新潟では旧市町村で夜空を彩る花火や秋祭りが目白押しにある。わが社所在地の旧新津市も、鋒も出る盛大な夏祭りに入りこの20日は会社休日。休み明け会社に出社したら「千野はん今日はお誕生日でしょう!喜寿のお祝いにと社長よりデコレーシヨンケーキのプレゼントです。」と机上にケーキが飾られた。7本のローソクに火をつけフーと火を消す。社長はじめ居合わせた皆様からも大きな拍手とおめでとうの言葉。感激の中、老いを感じる自分を元気付け、
 いつまでも支えてくださっている社長はじめ会社の皆様方に深い感謝・感謝で頭を下げた。帰宅した後、会社から祝福を頂いた感動の今日一日を家内と共に感謝し喜び合った。希しくも北京女子ソフトボールで日本が史上初の金メダル獲得という感動の日とも重なり忘れ得ぬ吉日となった。

     



No,28 2008/5/24
   田植えも終わり水稲の生育が待たれる今日ですが、本年はガソリン価格の高騰もさることながら世界的に食糧不足の懸念が高まり、農産物の価格に少なからず影響が出てくるものと思われます。そんな中、愈々水田では「おいしい安全なコメ作りのため」の排水管理として根腐病の防止や適正分けつの助長に欠かせない溝切作業が始まる頃を迎えます。今年は一層のおいしい安全なコメ作りへの志向が高まるものと思われます。弊社では水田溝切機として作業される方の所有反別・圃場の土質・1枚の大きさ更にはご年齢等にも配慮して作業条件に見合った機械でご満足して成果ををあげて頂けるように下記のような各種の溝切機を取揃へて皆様のご愛用をお待ち申しあげます。


No,27 2008/4/21
   満開だった桜も葉桜に変わり、春の日差しにあたりながらの通勤途上、新津バイパスの沿道には咲きほこる菜の花の黄色が風にそよいで、春うらら。目を左右の田園に移すと、もうトラクターで耕起された田園がひろがり、さあいよいよ田植えへ準備に入ったが、忙しくなるぞと気合を感じる。
 昨年は米価の下落で米作りは止めたと農業廃業論の声が多かったが今年は農業環境は一変している。中国のギョーザ問題で日本の食糧自給率が39%とのあまりの低さに国民が危機感を抱きつつ、目先のガソリン問題で一喜一憂しているうちに世界の穀物市場の高騰がドドーと日本を襲ってきた。大豆・小麦・トーモロコシから、豆腐・パン・カップ麺・油・果ては菓子にいたるまで。ほとんどの日常生活食品が一気に値上がりした。昨年末までに日本国内の余剰米をすっかり完売できたと喜んでいた日本の米市場に対し、国外ではお米の世界一輸出国のタイを始め、第二位のベトナム・第三位のインドが輸出増からの米の値上がりもさることながら自国の米不足が心配と、既に輸出制限をするまでに至っている程の激変ぶりである。
 国内自給率100%で米あまりだと心配する日本、しかも世界で一番おいしいお米を作っている日本、世界のお客には1俵換算で9万円でも買う客がいるのにコストに見合う価格で売れないと苦しむ農業日本。どうなっているのか、何かがおかしい。世界と鎖国的対応で来た日本の農業行政も大きく見直しに迫られるのではないか。農家にとっては大きな転換年を迎えることになりはしないだろうか。


No,26 2008/1/28
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。クリスマスを新潟でしたいと里帰りしていた娘家族も七草粥を頂くと子供の学校が始まるのでと、あたふたと帰り支度をした。夜行列車を見送りしたあとは、急に我が家は静かになって寒さの感じる1月の新潟に戻った。福袋買いに走った荷物を送り返す手配や、夜具の片付け等々何かと気せわしく後始末の手伝いに追われているうちに早や、あずき正月の日を迎えていた。今年の正月も成長する孫娘の顔を見て娘家族と共に明るく幸せな年になるだろうと感じられた。
 孫娘がおじいちゃんにプレゼントといってくれた封筒を開けてみると懐かしい生まれ故郷の写真入りカレンダーが数年分入っていた。今はもう見られない西陣、北野千本界隈の風景入りカレンダー、もうとっくに小生の脳裏から消え去りつつあるものを蘇らせるものだった。日本最初の日本映画を目玉のマッちゃんこと、マキノ監督がこの西陣千本の町で起こした。そしてこの千本を日本最初の市電(通称チンチン電車)が横切り、堀川通りから下は四条西洞院通りを下り、京都駅まで走る。よく母親に連れられ弟と共に京都大丸へ買い物に行ったり、就職して通勤に揺られた頃など思い出されるが、それも昭和37年7月には廃止となり、更に昭和47年1月には京都市内の電車はほとんど廃止されバスに変わってしまった。変化はそれだけに留まらず、思い出がいっぱい詰っていた西陣の伝統の街までも洋風化とモータリゼーションの波に洗われて表通りの商店街はすっかり昔の面影が消え伏せ、裏通りの伝統的な織屋風建物も住宅風家屋に衣替えしてしまった。夏の風物詩として町内の織屋の旦那衆が作る有名な糸人形展も建物が消えると共にこの伝統的作り物も見られなくなった。
 カレンダー写真を見ていると思い出は尽きない。親・兄弟、毎日遊び騒いだ子供の頃、小・中学校の友達、終戦、物価狂乱、大阪就職、遊んだ青春時代等々、転勤で新潟に住んで32年。ご縁を頂いて吉徳農機に勤めて26年。今も勤めさせて頂いて感謝は尽きないが、新潟が第二の故郷となっていつの間にか古郷の移り変わりに疎んじてしまったが、生まれ故郷はやはり心の古郷として残しておきたい気持ちは今更乍ら強く感じる次第である。今、新潟県でもどの町の商店街にもシヤツター街といわれる現象が起き、山間地農村では集落が消える限界集落まで出ている。古き良き風習や伝統文化まで消えうせるような古郷にはなってもらいたくないと願うのは私だけではないと思う。

     


No,25 2007/11/14
   11月に入り、秋風も冷たく感じる頃ともなると新潟の山々は紅葉を迎える頃となる。赤い柿の実が静かなアキの農村を一際感じさせる。それにしても販売店回りをしていると、それぞれ販売店から農村の変り果ててゆく姿を耳にし、将来の米づくり農家に危惧をかんじさせるような話が多い。農政は耕作反別の大型化作りを進めれば進めるほど農村を支えてきた日本の集約農家という農村形態が解体に瀕してゆくようだ。米は値下がりし消費者の求める安全でおいしい米作りとは反対の方向に進むのではと懸念の声も聞く。中越地震に遭ったある農村では二百数十戸あった農家が農政の進める大型化農業に名乗りをあげたのは四戸だけだったとか。その為この集落は近い将来農家のいない農村になってしまう。問題はこの4人で村の全耕作を引き受け耕作するのはまず不可能で早くも耕作しにくい田地は引き受け拒否の話が出たり、人出不足から雇用するにも1人1日10,000円も出してまで膨大な耕地のアゼ草刈りは採算上からも出来ない。どうしても消費者の嫌がる農薬散布優先の農業を進めざるを得ないのではないだろうか。又、農家を廃業した人々も町の人になったので今までの農村共同体で行っていた水路脇や土堤等の除草や管理に協力を得られにくくなり、残る4人の農家では農村の維持は難しいと危ぶまれる。こんな集落の農村では、どんなお米を生産するのだろう。安心でおいしいお米を食べたいと願う消費者からはますます心の離れたお米作りがされてゆくのではなかろうかと心配である。一方の政府の進める大型化農業への指向とは別にお客の要望する安全でおいしい米作りに向かってお客と生産農家が満足し合える商いに努力されている農家も多い。これらの農家は高値で買ってくれるお客に相応した生産反別しか作らない。有機や減農を望むお客に答えて大変な労務やコストをかけて作ってもお客がなければ一般米と同じ価格でも売らざるを得ない。差別化された安全でおいしいお米がお客の声で新しく客が増え、毎年増えたお客の分を増産する。本当にコツコツと努力と年数をかけて米つくりに精を出している。兼業農家が静かに増えている。これこそ自由競争の中でこれからの農村を支えて行ってくれる農家ではとそんな元気農家がもっともっと多くあらわれてくれることを願っている。


No,24 2007/9/18
今年の夏は気候温暖化からか全国各地でかつてない酷暑に見舞われたが我が家においても盆休みの熱暑の中で妻が帯状疱疹にかかり、こんな病気があるのかと小生も大変な看病の経験をした。
 8月は例年帰潟する家族で久しぶりの顔合わせが出来る唯一の楽しい月でもあるのだが、今年は孫の夏休み期間が前期後期授業で変わったこと親が町内の地蔵盆の役持ちとなったこと更には7月の中越沖地震で日本海側を走るJRの信越本線ががけ崩れで不通となり、列車の予約取り消し変更など、今年は万の悪い夏を迎える羽目となった。
 新潟の8月は秋の収穫を前に、お祭やお盆の行事が盛んで県内各市町村で競い合うように行われる。毎年仕事を終えての帰路、夕やみのかなたの空に打ち上げられる花火を車窓の右や左に見る日が多い。我が家も家族の楽しい思い出にと金さん銀さんまでも観覧に見えた日本一の花火、長岡のフエニツクス花火大会を見たことである。何十万人もの人出のため昨夏に観覧場所と宿を予約してくれた娘家族の親孝行のお陰で実現した。屋上に席が設けられて、夕食の弁当を味わいながら夕やみを待つ。風もあり格好の納涼である。大手大橋を前に見て、人の行列が続き打ち上げ場所の信濃川土堤にはシートを敷いた人々が続々と埋まる。そんな光景の話題に移っている中に食事も終わり案内のアナウンスに拍手が起こる。連続に打ち上げられる花火が尺玉になり、2尺玉、3尺玉と大玉があがる毎に落ちてくる花火が自分に迫ってくる。更に追うようにドン、ドン、ドーンと花火の音が大きくなり、大太鼓を叩くような重い響きがおなかに伝わり体までふるわす。花火の立派さ、美しさ、素晴らしさ、に音が競演して驚きと感激ともいえぬ感動に我が家はもちろん観覧席全体が歓声と拍手に包まれる2時間であった。
 花火の感動が覚めやらぬ1週間後、妻が帯状疱疹に掛かるが、水疱が出来る程度で1週間は痛みもなく経過したが或る日突然、妻の激痛が始まり、夏の楽しみは吹き飛び日々の生活はすべて止まってしまった。朝、昼、夕、晩、夜中、時間・場所かまわずいつ起こるかわからぬが1回おこると数分の激痛が起こり、過ぎると数時間は我慢の出来る痛みになる。針で刺すような痛みが稲妻のように走り、間断のない激痛に泣き叫ぶ妻を、小生はなす術もなし。ただ痛む患部を摩りながら、激痛が通りすぎて行くのを待ち祈るばかりだった。痛みが起こってから1週間程して漸く日毎に激痛の回数が4〜5回から3〜2回、1回と少なくなり良くぞここまで我慢し頑張ったと、病人も小生も気持ちが落ち着き始めた頃には、8月も下旬。早やくも、中越沖地震のあった柏崎では例年の早稲品種の稲刈りがTVに放映されていた。我が家の8月は家に篭もったままで終わり、夏の季節は止まったままになっていた。
 8月は暦のうえでは葉月。元気盛んな月なのに妻の悲痛な声で、精神的にも相当ストレスを受けた感じがするが、それにしても気力の回復力がにぶいのは今夏の暑さのせいか、年のせいとは思いたくないが。

   


No,23 2007/7/9
   セピア色した梅雨空のもと、久しぶりに新しい「新潟市」と合併した旧西浦地区のお客様へ乗用溝切機の納品に車を走らせた。枝豆産地で有名な黒崎の町を抜けると広い田園の広がる農村風景となるが、町を抜ける道を間違えたか思う道に出られず、いつの間にか車は稲葉のなびく広い田園を突っ切る一文字に走る広域農道に出る。薄黒い雲ははるか遠方の四方の家々や木々を包むように垂れ下がり、弥彦山も見えぬ。通り過ぎる田んぼは青々とした稲がそよぐだけ。方向音痴に陥る。車を止める。さてと地図を見るも、どの辺りか掴めぬ。アーアーと目を閉じる。
 コツコツと窓をたたく音。見ると青ガエルのケロちゃんではないか!元気だったか。それにしてもどうしてここに?ケロちゃんの話では最近こちらへ移り住んだのだと。当地は安全でおいしい米作りを目指し、有機農業・減農薬に取り組む農家の田んぼとの事。最近海外の富裕層が増えて高くても良いからおいしいものを食べたいと言う美食の人たちが日本のお米に関心が高まってきているらしい。この間もあの安い米で日本の米作り農家に不安を与えている中国へコシヒカリを1kg3,000円(5kg換算すると15,000円・・1俵では?)で輸出したと言う快挙の話を聞いた。有機農業へ米作りが増え、カエルの世の中も昔に帰って、カエルの「梅雨まつり大合唱」のイベントが出来る日の近いことを夢見ているんだ。先だってもカエルの有志が集まって、稲の害虫を捕食するNPOを立ち上げたばかりだよ。確かに食材を選ぶ国の人たちほど大変神経質に新鮮で添加物や農薬の使っていないものを好むものだ。日本のおいしいお米を、食を大切にする。おいしい料理を求めるアジアの裕福層へもっともっとPRしたら日本の高級米は不足を起こすのでは!激しい雨音でふと目が開く。夢か・・。でも元気の出る話だった。
 雨風でなびく稲葉のたなびく方向に車を走らそう。その内、国道に出れば方向もわかるだろう。蒲原平野(新潟平野)は広い。


No,22 2007/4/23
   北国の春は春の花々が一気に咲き誇る風情に象徴される。
 我が家では庭といったものが無いので家周りの狭い空き地を利用して草木を植えている。北と東が隣の家で日光が遮るのと陽の当たる南側は駐車場に取っているので日当たりは可愛そうなくらい少ない。それでも今年も次々と花を見せてくれる。
 晩冬のまだ雪残る寒風の中、立春の頃には「もう少し我慢すれば春だよ」と窓越しに山茶花が赤い顔をのぞかせて心を和ましてくれる。北陸の展示会が近づく2月中旬には水仙の黄色い花が「こんにちは!」と手を振る。地面の下ではもう春の水が染み渡ってきたのかな。3月の啓蟄を過ぎると田野では野草が芽を出し始め野良の色までが何か青みを感じさせる。早い所では土筆も顔を出す。我が家の草木もこの頃には芽やつぼみをつける様子が見られるようになり、春はもうそこまで来たかと実感を覚える。そろそろ自動車のタイヤもスノーから普通タイヤへ今週末にでも交換しようかなと頭を横切る。それでも3月は朝夕に雪の舞う日もあり日中10℃前後あった気温も夜は0℃前後になることもある。4月に入らないと中々草木の花も咲きにくいようで一進一退。そんな日々の中で沈丁花の花が春の香りを漂わせる。
 学校休みに入ると孫たちが来潟。しだれ梅が歓迎するようにピンクの八重花を咲かす。一気に我が家は春になる。やがて4月も早々に孫たちが帰った後は寂しさを紛らわすかのように玄関前のしだれ桜が花を咲かせ、本格的な北国の春の感を出す。れんぎょうの黄色い花は特に目立つ色だ。鉢植えのゼラニユームも次々と赤い花をつけ濃紫の野スミレ、赤いチユーリップ、薄紫のアネモネ、白・黄・紫と色とりどりのクロツカスまで色を添えて賑やかである。
 信濃川辺りを走ると農家の家々の庭に咲く白っぽい梅の花に薄いピンクの桜の花と濃いピンク色をした桃の花、それに黄色いれんぎょうの花とこぼれるように咲き誇る白い雪柳の花々がひときわ目に入る。どこの家の庭も春爛漫である。
 我が家の花の後続部隊もこれから。カリンの木に薄赤色の小さな花がもうすぐだ。遅咲きの紫色の木蓮のつぼみも今にも咲きそうなほどに大きく膨らむ。牡丹のつぼみも3cm程に膨らんできた。日陰の為に例年花をつけない芍薬は今年はどうだろうか。昨今、簡単にガーデニング店やDIY店で農薬や化学肥料が入手し易くなったが使い方によっては作物にも環境にも大変悪影響を起こすだけに素人の私としては「危うきものには近寄らず」で我が家では一応農薬と化学肥料は極力使わないように努めている。4月から5月に掛け、北国新潟は一年の中で一番気候的にも良い時期で、梅・桜・こぶし・れんぎょうと春の花がドドーと一度に咲きそろい咲き誇るこの今、花を愛で楽しみを満喫できるのに幸せを感じている。


No,21 2007/3/5
   今年は暖冬で早くから梅の花が咲いたとか、ふきのとうが出てきたとか、春を告げる声が耳に入った。いよいよ我が家の庭にも水仙の花が咲き、日中の陽射しの中に立つとまだ啓蟄も過ぎていないのにもう春が来てしまっているかと思い違いを起こすほどである。暖かさに誘われて休日の散歩に裏の野良道を歩くとさすがまだ風は冷たい。
 土の中に冬ごもりをする虫達はどう感じているのだろう。枯れ草の間にある穴を覗き見しようと腰をおとす。虫達も土の中で地上に出ようかと色々と議論しているようだ。「まだ充分に冬眠を取っていないのでもう少しねむらせて・・・」とコオロギのコロちゃんの声、「いや外も暖かくなってきたから早々に草花の蜜でも・・」と土蜂のハツちゃんの声、虫達もあまりに異常な地上の気温に戸惑いを起こしているようだ。兄貴分のカエルのケロ君があまりの騒がしさ顔を出して言うには、「みんな、慌てないで・・時々こういう暖かい年や寒い日が続く年もあるから・・暖かそうでもまだ冷たい風や雨が降ってくるから・・・ここしばらくはじっと我慢して待つのが無難だヨ」そばにいた長老のゲロ左衛門が口を開いた。「啓蟄はまだ過ぎていない、春はまだ早い、人間の言うことはあまりあてにならないが、暦だけは自然を良く見て出来ている」さすがにいいことを言う。家に帰り早速新聞を開いて「3月の暦」を見ると、3/6啓蟄、3/18彼岸の入り、3/21春分・中日、3/24彼岸明け・・・暦以外にもあるはあるは・・・3/1ビキニデー、3/3ひな祭り、3/4ミシンの日、3/5珊瑚の日、スチワーデスの日、3/7消防記念日、3/8ミツバチの日、3/10東京都平和の日・農山村女性の日、3/12パンの日、3/14ホワイトデー、3/15靴の記念日、3/16禁酒の日、3/18南魚沼しみ渡り雪上山歩、3/19トークの日・ミュージックの日、3/22国連水の日・放送記念日、3/23ふみの日、3/27さくらの日、3/29肉の日。まことに賑やかな内容のこよみに気分はすっかり春である。そろそろプランタに播く野菜の種は何にしようか・・・もうすぐ虫達も忙しく飛び廻り、野良で忙しく農作業する農家の方と「お元気でよかったね」と春の挨拶に声を掛け合う日も近い。


No,20 2007/1/15
   2007年、在来的農業補助政策の行き詰まりから新しい農業政策がスタートする。これにより5町歩以下の農家が約9割近くを占める農村集落はどんな形に変わっていくのだろう。政府は新農政の推進目標に有機農業推進法を併せてスタートさせる。これは安全でおいしい農作物の生産供給を推し進めようとするものであり、視点を消費する人、買ってくれる人に副った物作りへと指向して行くこととなろう。
 昨年末ある販売店様の店頭であった話である。店では知らぬ人だという。「山田村(假名)の○○ですが、耕運機が動かんので直して欲しい。機械は家に置いてあるので、今週中にお願いできれば・・・。今は自家用野菜作りに使っている、来週からは東西市(假名)に帰り来年3月頃には山田村へ来る予定なので今週中に直して頂ければ・・・との事。機械は住んでいる東西市のDIYで買った、自分も学生の頃まで親の農作業を手伝ったが就職して以来親元を離れていた。一昨年、山田村で一人住まいの母親が腰を痛めたので自宅に引き取り、田舎の家は空き家で自分が時々野菜作りをして家の管理をして来た。母親の腰も良くなって歩けるようになったので、今は母親共々学校休みには孫たちと山田村の家を別荘代わりにして楽しんでいる。自分も来週は退職となるので母親と田舎へ帰ろうと思っている。野菜作りをしてみて、工場での物作りとは違い、生き物を作る楽しみは最高・・・実家に住んだら人に貸している田圃1町の内2〜3反は有機農法を教えてもらってコシヒカリでも作り始めてみようと思っている。」
 今農村では人手不足、農家の高齢化、新規農作物への開発意欲収縮、ひいては現場不在の農業政策等から農家に先行き不安を与え生産意欲を減退させ、農村の疲弊は危機感さえ覚える程である。団塊の世代の農村回帰は大きな社会現象のうねりである。農村への取り組み次第ではそのインパクトは、行き詰っている農村に新しい息吹を与えるかもしれない。業界もこれから大型機械需要の農家を追いかける見方からだけでなく「農村という森の動きに明日のロマンを夢見てみるのも一年の計」と勝手な思いを抱きながら赤い大きな鳥居をあとにした。今年もどうぞよろしく。



No,19 2006/10/11
    黄金色に実った稲穂もアッという間に稲刈りも終わった。土・日曜日の休日を終え、月曜の朝の出勤時の風景が違う。先週末、黄金色の田園は茶色っぽい土色に変り、まるでお芝居の舞台の早変わりのようだ。
 大型合併した新潟市は周辺の農村地帯の市町村が加わり、田園型都市を目指した政令指定都市にと大きく変る事になった。安倍新政府がかかげる「美しい国」つくりとは?田園型都市をめざす新潟の町作りはどんな?この9月末に農林センサス調査による平成17年2月1日現在の経営耕地規模別販売農家が全国で196万余と業界紙に掲載されたが、それにしても1年半も過ぎて発表されるとは庶民感覚としては余りに遅すぎる。この調査資料によると1haまでの所有農家は56.7%と半分は占める、3haまでの所有農家は90.5%と農村を支える日本の集約農家の実態がわかる。その農村で若い人は都市部へ就職し田舎に残って先祖からの農地を守っているのは殆んどが高齢者というのが農村の現状である。政府は明日の農業を支える農家40万経営体で農業生産の60〜70%を占める大型農業を描いた農政を進めているが、今でさえ農村は歩いても人に会うのが難しいくらいに集落は人口減少を起こしている。大型農業を進めれば進める程、農家は農地から離れていき農村集落は人口の少ない疲弊した寂しい農村風景になっていくように思える。安倍首相の「美しい国」つくりはその内容が具体的に見えないが農林センサスでも明らかなように日本の集約農家で生まれた美しい農村を守り、蘇らせるには3ha以下の農家で農地の90%を占めるこの農業経営体を生かしながらいかに農村人口の減少を食い止めるかの施策を国をあげて講じて欲しい。人がいなくなれば農村文化も消える。美しさのない農村になってしまう。
 耕地を掘り返して大型化農業や農家に借金を残さすような農政から少ない耕作面積で高収益をあげる農作物への開発や転換への支援・協力を進める農政に見方を変えるのも一考ではないだろうか。少ない費用(耕地)で最大の効果(高収益)をあげる考えは商売をしている人では常識である。昨今TVで日本のリンゴが台湾では数倍の高値で売れていて、日本産の果物が海外で味が認められれば、ナシ、ぶどう等の需要期待は大きいものがあるとか。狭い国内の産地池消の奨励も結構だが世界の市場に向けた農産品の開発を民間サイトでは既に色々と努力試みがされているのは誠に心強い。いつかは日本がもつ今日までの集約農業で鍛え育て上げた日本人独特の緻密で器用な他国にない高い農業技術が認められ、その価値が農産品の需要に反映されて明るい日本農業の展望が見える日が必ず来ると確信している。


No,18 2006/8/28
    梅雨明けが待ち遠しかった新潟の夏は、例年より10日遅く7月も末になって夏空の顔に出会った。関西方面は7月早々から30度をグングン越して京都では祇園祭は35度を越す猛暑となり、古都は8月の送り火の終わった後も燃え尽きる程の熱暑だと便りを頂いた。新潟の夏も梅雨明けと同時に夏の太陽が照り付け気温も30度を越し夜は25度前後の熱帯夜を迎える日があったが、それでも里帰りの娘家族の言葉ではまだしのぎやすいと喜んでいた。日本一の花火と評判の長岡でドーンと夜空に花火で飾られた後はグングンと気温が昇り台風の影響もあってか連日38度を越すフエーン現象に見舞われて丁度お盆でお家にお帰りになった仏様もこの浮世の熱さにはさぞや参られたことであろう。一雨ほしいなあーと汗の雨を流しながら熱くない熱くないと蝉の声に元気付けられているうちに新潟各地ではお盆のお祭り、花火、納涼盆踊りと夏の行事も終わりとなり、何時の間にか夕方6時ともなると大きな夕日が海に沈んでいく季節になっていた。今年の異常気象で南爪、キユーリ、トマト、ナスの夏野菜始めレタス、大根、キヤベツと野菜類の価格はガソリン高騰に負けじと高値になった。さて、肝心の稲作の見通しは如何かと心配したが梅雨明け後の8月の好天で遅れ気味だったコシヒカリの出穂も出揃いほぼ回復したとの声で一安心する。昨年から話題のBLコシヒカリの味は、米価はどんな評価になるのだろうかと農家の方の話に耳を傾けているうちに早くも柏崎で越路早稲の稲刈りが始まったとTV放映。黄金色した稲穂を手に農家の微笑むお顔が目に浮かぶ。もうすぐ新潟平野は青く澄み切った秋空のもと、快音を響かせながら稲刈りをするコンバインの姿があちこちで見られる時期を迎える。豊作を祈りたい。


No,17 2006/5/29
    今春、久し振りに友より旅行の誘いがあり、親友5人が揃っての旅行は拾数年ぶり。毎年旅行を楽しんで来た昔を思い出しながら心の弾む気持ちであったが、病後旅行もしなかった妻が思い出だしたかのように急に京都に行きたい、嫁いだ娘や孫にも会いたいし、ご無沙汰のお墓参りもしたいと。今度が京都へ来るチャンスかも、夫婦なら往復の車中も安心だからと娘にそそのかされたか。本当に久し振りの夫婦旅行となった。丁度妻の身体の事もあり、観光シーズンのゴールデンウィーク前にと、旦、平日に行く事で観光客に巻き込まれぬ様気を配って旅行日程を立てた。
 親友との蒲郡1泊旅行の後は私共夫婦と娘(主人は出張中、子供は学校行きを幸いに)も加わり3人で乗り継ぎタクシーでお墓参りに。近くの北野神社、針抜地蔵尊、と巡り、生まれ育った西陣界隈に時間を費やす。平日なので北野神社の参拝者も少なくて、妻にはゆっくりしたお参りをしてもらえた。翌日はみやげものをと高島屋へ買い物に出かけたもののさすが四条通りは観光客もあって大変な人混みで、その四条通りは南座から祇園社の方へほんの小一町も行った処に間口2間半程の見逃しそうな仲源寺と言うみやみ地蔵尊があり、眼病快癒にとお念珠をいただいた。京都滞在の最終日は二条駅近くの友人宅を訪ねる。いつのまにかあの古い文化財の駅舎は高架駅に変り、跡地にはシネマもある今様の都会的建物や地下鉄が走るなど駅周辺は一変、はからずも母校が法科大学院の学舎まで建設中で、もう私の育った西陣の変り様もさることながら、この西陣の玄関駅でもあった二条駅や周辺までが昔を思い出させるものが消えてしまう様には、限りない寂しさを感じるとともに、ちょっぴり母校の発展にも喜びたい複雑な気分であった。帰りがけ時間があったので近くにある新撰組旧屯所の壬生寺や芹沢鴨が殺された旧八木邸を廻ったが2年前のTV放映時での人の混雑は水が引いたようで、訪ねる人もほとんど無い静かなたたずまいの中にあった。八木邸の脇にお菓子屋が赤い毛せんをしいた床机を出しており、腰を掛けてお茶を一服頂くことにした。前庭には1本の遅咲きの桜の大木が丁度散り始めの満開でお茶を飲む手も止るほどの美しさであった。突然、新撰組隊員が足早に通り過ぎて行くような春の嵐が一陣、と、花びらがサーと吹き落ちて来る。また一陣。流れ落ちて来るように吹き散る花びらの美しさ、散り桜の風情に見惚れているうちに赤い毛せんの上は花びらで埋まる。静かな雰囲気の中で風雅な味わいをしたことは今も夫婦での話の種の一つである。人の行く裏に道あり花の山。


No,16 2006/3/30
   経済界でよく使われる言葉に大事なものは「人・物・金・情報」そしてこれをいかに効率的に集め、動かし、生かし、使うかに掛かっていると・・・。この四つの資源の中でこれまた厄介なのが「情報」で、数字で割り切れない所が難しい。この情報に企業も国家も収集や精査分析に、生産開発並みの資源を投入している。アメリカのペンタゴンなどはその最たるものといえる。
 この春気漂う青空に今も膨大な情報が流れ飛びかい、情報によってはインターネット操作で一刻の内に情報が入り、又相手と交信できるという便利な時代にある。が、その情報の出てくる相手なり内容が誠なものであれば問題は無いが、特に情報を流す相手、受け取る相手、その内容の信憑性等にどんな考えで処すれば良いかこれが大問題なのである。
 日本ではこの点で社会通念のようなものが出来上がっていない。外国に商社マンとして出向いた人々が勉強させられるのは先ずこの考え方、対処の仕方である。外国、特に先進一等国のアメリカでは「情報」については先ず情報を受け取った側がこれを信用するか信用しないかは当人側に責任があるとの社会通念が出来ている。従ってその情報がガセネタであれ信用した者が責任で、その情報を流した者には責任を問われない。それだけに情報の裏付けを取る為の情報管理、分析には多大の人・物・金を使う。新聞記事においても国政・外交面には必ずReliable source(確かな筋)とか、アンリライアブル・ソースという文字を入れ情報の正確、信憑性を示すための度合を書くぐらい情報に気をつけている。
 日本ではこの情報の取り扱う甘さから政界はとんだ事件に連日揺れ動いたが、これも日本の情報を取り扱う上での社会通念なりが出来ていなかったための甘さが、政界・マスコミを含めて露呈した感じである。
 暖かい春の陽射しと爽やかな風にふかれながら、揺れる菜の花に蝶々が飛び移るのをみていると、いやいやまぎらわしい雑念もエイプリールフールで消せて来た。


No,15 2006/2/28
    ここ穏やかな春の陽射しが続いて、庭のしだれ梅に蕾が綻び始め色づきだした。もう春は目の前、もう少しの辛抱とついこの間の厳しい寒さを思い、気も和らぐ。久し振りに休日の合間の陽気を堪能しようと、ここ止めていた近くの散歩道を残雪を避けながら歩く。同じように陽気に誘われてか、一人又一人と散歩の人々とすれ違う。遠くに見える五頭連峰の山々には白銀の衣を着た姿が美しく、まぶしく照り返る。山里の村々を見下ろしているようにも思える。
 その山里の農村ではボツボツと春の農作業の準備に入る時期だが、農家の人の表情は暗い。米価の値下がりや農政の不信も加わり、明日への農業の不安が仕事への意欲に影響しているように見えるのは本当に残念である。確かに今農村では価格・流通・生産規模等、農家経済の根幹に係わる体制が大きく変わりつつある。JAもその組織が揺らいでいて、組織替えや合併やとその対応を急いでいる。早く新しい時代に副って経営できる体制になれば農村も穏やかな春の陽射しを味わえるのだがと待ちどうしい。
 思うに自由経済化していく農村の米市場は、消費者の求めるお米は何かを知ることが大切になってくる。消費者は「安全なお米」「おいしいお米」を求める。安全で、おいしいお米が高値相場を形成していくのではないだろうか。今後の米の価格相場のメカニズムが固まれば米の生産農家も自信をもって隣の生産農家に負けない品質の米作りに汗を流し熱意と努力を取り戻す事と思う。価格相場だけでなく、流通体系も大きく変わっていくだろう。安全でおいしい米はJA始め集荷業者も高く買うだろうし、買付け値段如何だは生産農家が集荷業者を選ぶようになる、また産直の様々な形態も生まれてくることだろう・農家の人もお米はいずれ輸入米で6,000円になるとか、こしひかりも12,000円相場になるとかの風説に惑わされず、消費者に求められるお米作りに熱意を出して頑張ってほしい。
 今年も農村での田植えが順調に進み、青々とした田園風景が見られる中で散歩ができることを楽しみにしている


No,14 2006/1/1
 正月、穏やかな陽が庭に射す朝を迎えると、記録的寒波に見舞われた師走の通勤時の渋滞もすっかり忘れてしまう。無事に新年を迎えた喜びと感謝で新年を祝う気持ちになる。御屠蘇、お雑煮を頂いて友人、知人からの年賀状に夫々、思い出が浮かびなつかしい・・・。
 ちょうど通勤の話がでて、知らぬ土地にいぶかる自分に釣りの先輩から、「新潟はすばらしい釣り場が多く、仕事に合間には釣りでも行って息抜きをされては、とても良い所だよ」と、また「新潟には珍しく八ツ目鰻までとれる所よ」とくすぐられて、少々安心と釣り心を動かされたことが思い浮かぶ。名古屋で知り合った釣り先輩とは誘いを受けては名古屋港でハゼ(名古屋では正月料理のダシの味だしに使われる。)釣りに同行したものである。先輩の常々の言葉は「釣りは一番経済的に遊べるレジャー」だった。
 人はよく釣りをしている時は仕事の事、煩わしい事、心配事など、頭の痛い諸事万端スッポリ忘れる。心の洗濯になると言うが、確かに釣りは糸を垂れている時は「静のスポーツ」心をリフレッシュにするスポーツだと思う。 新潟の堤防釣りは有名である。新潟日報では月間に釣り情報を載せている。タコ、カレイ、アイナメ、イワシ、アジ、キス、コチ、サヨリ、カワハギ、ハゼ、シマダイ、クロダイ、イナダと季節によって魚が変わる。その魚に合わせて、釣りの仕掛けやエサも変えて狙うのが釣り人の楽しみの一つである。新春の寒波の中で糸を垂れる人がいる。タコ釣りの人である。面白い仕掛けをしていてゆっくりと堤防脇を歩き回っている。正月元旦からでも完全防具で厳寒の風を受けて根気の釣りをされている姿を見ると、もう釣り趣味を通り越して頭が下がる。小生には足元にも寄れないがそれなりに冬の釣りを楽しんで来た。
 1月から2月の暖かそうな日には雪のわだちに注意しながら、東港へ車を走らせ、テトラでの穴釣りや堤防の落とし込みで、尺もののアイナメを釣った事も何回かある。春も3月以降は月を追うごとに、狙う魚の種類も、釣り人達も多くなってくる。新聞情報では「東港でアイナメ40cmを・・・」「西・東港はサヨリの群れ・・・」等載ると心がワクワクして来るが、ここ数年は色々と家の事情もあり釣りには足が向けられなかったが、今年は是非のんびり太公望になってグーグー、グーと竿がたわむ程の魚を釣り上げる、釣りの最大の醍醐味を楽しめたら・・・と初夢でも見ないかと願っている。

「めでたいと夢鯛からも年賀状」

  


No,13 2005/9/28
 

 早いもので、昨年の新潟中越地震もこの10月で1周年となる。時の流れは早い。仕事に追われているとなお更である。台風通過中の早朝、台風と反対方向への会社の慰安旅行。従業員一行25名。お伊勢さん参りをして、渥見観潮、木曽路超えとバスは巡り、一途長野から北陸自動車道をひた走る。10月下旬ともなると秋の日暮れは早い。柏崎あたりではもう夜のとばりがバスを包み込む。バス車内は旅の思い出を胸に、又旅の疲れに深い眠りが漂う。薄暗い車内灯が人々の眠けを誘っている風であった。突然誰かが外は真っ暗だよ、停電かも!!の声に何かあったかな?外を見ても真っ暗。しばらくしてバスがゆれている、地震だ!の声で白河夜船から引き戻された車内は騒然となる。高速道の外灯も消えて運転者はバスの前照灯の明かりをたよりにスピードをおとして走ったから2度目の地震の揺れがわかったのだ。今回のバス旅行は長距離なので交代運転手が同乗し運転手が2名であったこと、又その運転手の1人がさきの阪神淡路地震時に神戸の高速道路を走った経験者であったことが後から来るバスの危機を救ってくれた。亀裂した道路に直角にバスを動かしてソロリソロリと溝を渡れたときは車内は拍手が起こり、安堵の声が口々から出た。・・が今度は走る車の前方に30cm程、道路が盛り上がり、それが数10mごとに連続している。バスはノロノロゴットン、ノロノロゴットンと繰り返しながらいくつもの道路の凹凸を乗り越えたが、ふとライトに照らされた路背脇に止まっている乗用車の列に気付く。しかも車から降りてしきりにタイヤを見ている人の姿に、アーアー!あの凹凸道路に勢ようドンドンと当たって車の衝撃かホイールが痛んだかと心配されているんだわ、等など、車内では外での異常さが深刻だと解り始め、家族に電話する人も含め騒擾状態。高速道路上はいつまでも停電中。難関を通り越したとはいえ、やはり事態の恐ろしさが気になり、高速を下りた方が無難と漸く近くなった西山インターに、ところがここが車の列、しかも動かず、停電で料金所は精算できず、ETCも不通。いつまで待っても出られない。車内はイラ立ち始め不安が先立つ。そんな時に一人の運転手が反対車線からドンドン来る車を見て、「反対方向から来る車の速さから新潟方面は道路が異常ないと思えるのでこのまま高速を走り続けよう」と待ち車線から離れたのが正解となり、やがて北陸自動車道に関越自動車道が交わる長岡を経過すると高速道上にも電気がついていて「高速道より下りよ」の標識が随所に見られるようになり、三条ICで高速を下りた。予定時刻より30分程の遅れで無事旅行日程を終えた。行きは台風の中を出発し、帰途は一生に一度あろうかの高速道上での地震を経験し、忘れ得ぬ思い出の一ページを胸に刻んだ旅行となった。終わってから気付くのが人間の浅ましさだが、今回のお伊勢様参りで厄除けを願ったのが正にその通りの旅行となり、お伊勢様の御神力を見せて頂き頭の下がる出来事であった。


No,12 2005/8/1
    夕暮れ時、信濃川の堤防でカメラを据え付けて、沈みゆく太陽を写そうと立ち並ぶカメラマンを見かける。私の生まれ育った町や懐かしい子供時代を振り返っても、夕方の茜色の空は思い出せても、水平線や地平線に沈む紅色の太陽は記憶に無い。

 これが夕日だ!と驚きと素晴らしさに絶句したのは、長年新潟に住みついていながら昨年の10月が初めてだった。来潟した孫娘たちとマリンピア日本海(水族館)を見ての帰り、ちょうど閉館時刻が夕焼け空と合い、海に沈む夕日を見ようよと目の前の西海岸へ出たとき、いやはやびっくり、海上にとてつもない大きな夕日が目の前でギラギラ輝き浮いている光景にバッタリと、手の届きそうなまじかな海の水平線にゆっくりゆっくりと降りてくる様は、もうなんとも言葉では言い表せない程の感動を覚え、いつしか家族ともども感激に手を合わせ拝んでいました。

 稲の穂も出始めた新潟はいよいよ夜空を色取る花火があちこちの市町村で催される。悠々と流れる信濃川や阿賀野川、広い新潟平野、日本海の澄んだ海、水平線に沈む大きな夕日、そしてきらめく夜空に打ちあがる花火等々、人々の心に残る感動と思い出を残してくれる新潟は素晴らしい自然遺産だと思う。こんな魅力溢れる新潟を大切にしたいし、ここに住む自分を幸せだと思う。




No,11 2005/7/7
   去る6月より新潟市は周辺13市町村と大型合併して、政令指定都市を目指して動き出した。会社所在地の新津市も新潟市と合併して消える形となった。新生新潟市に課せられた課題は大きなものがあろう。古い話にはなるが、ちょうど小生が名古屋市に転勤した高度経済成長初期の頃、名古屋は本当に大都会と思っていたし、又事実、大都会であったが一方では大田舎の言葉もあるように田舎らしい市でもあった。支店でも社員の殆んどが車通勤で新入社員までが新車で走り飛ばしていたのには唖然とした。しかし、住み着いて年を経るごとに理解できるようになった。それほどに名古屋市は広域都市であったのだ。
 今、新生新潟市は同じような大広域市となったが当時の大田舎名古屋と比べると良く似た感じがする。先ず一番に、市に手を打って頂きたいのは住所の整備である。旧地名が新潟市に入れ変わっただけの地名では郵便番号を調べ合わせてみてもチンプンカンプンの状態である。又、新しい地名も多く誕生している。新しい住所に慣れるまで、色々な面で大変な不便が発生している。大きな会社では支店営業所の住所の印刷や封筒等の改版の費用にも大変なお金が掛かることであろう。何としても、住民本位の今後の市制運営に期待するところが大きい。



No,10 2005/5/17
    ゴールデンウイークも過ぎると広い新潟平野の田んぼには、すっかり田植えも終わって、畦に腰をおろして心地よい風と日にあたるとついうとうとしそうだ。だが良く見ると何かおかしい。自分の脳裏に描く農村風景とは違うからだ。まず、ちょうちょが飛んでいない。子供の遊ぶ姿や声が聞こえてこない。畦水にはドジョウや小魚も見えない。畦際の所々には草が生えておらず、茶色のボーズ頭になっている。のんびりと輪を描くトンビの姿も見えない。村里の農村では確かに異様さを覚える。異様といえば日常経済では国内製品より海外製品の商品が氾濫しているし、金利がほぼ0%に近い。世界金融史上例を見ない低金利が続いているのも異常すぎる。政治では、中東、資源、抗日、拉致、改革、悪質犯罪増などに何の手も打てず迷走中。考えると異常異様があたりまえの様に、野にも山にも里にまで蔓って自分もそれに慣れ染まったか。
今、農業者の一部では永年の保護政策の壁をこじ開けて卓越した農民の農業技術とその農作物の味の優秀さなどを反対に海外にPRして、将来海外へ輸出する商品にしようという元気な動きがあるとか・・・。海外の高級ホテルでコシヒカリやリンゴ、サクランボが食材に採用されれば将来その量から日本の作付け農産品が変わるほどの夢もあるとか。これからの日本農業も満更ではないぞとロマンチックな気分に浸っている時、ふと車の音で目が覚めた。



No,9 2005/4/19
 田んぼの雪が消えて半月もたつと、雑草が芽を出し始め、あんんなに茶っぽかった寒々しい風景が、薄緑色をかすめるようになる。縦横に走る畦が日ごとに緑色を濃くして行く。まだ風は冷たく桜のつぼみも固い。一面の田んぼの薄緑色の変化に、更に雪を覆ったはるか後方の奥山が銀色に輝く晴れた日には、田んぼの畦に立つと、一際広々とした新潟平野のこの風景が強く印象に残る。一幅の絵となって心を和ませる。桜の開花を愛でる前に、待ちどうしかった春が其処まできたと実感する一時である。今年は桜の開花が遅れているようだが早くも野良では農家の姿やトラクターの動くのが見え、いよいよ春の農繁期を迎える。昨年のような天変地異、異常気象がない穏やかな、豊作の年である事を願ってやまない。


No,8 2005/3/1
   新潟地震からもう41年が過ぎたとか。小生が新潟に住みついたのが今から33年前、漸く県内に歩行型の田植機が普及し始めた頃であった。田植機の納入試運転に同行、始めて田植機のハンドルを握って、素足でタンボに入った。4月始めとはいえ、新潟の水は冷たい。なんだか足裏に[ぬるっ」とした感触を時折感じながら、一回り運転して代わってもらった。足裏に感じた変な感触は何だ?と聞いて・・・ゲー!!。もうそれからはタンボに素足で入る事は一切やめた。いつのまにか農業も化学肥料中心の無機農業に変わり、再び有機農業の声が叫ばれる時代が到来している。昔のような非衛生的な○○肥料は影を消し、固形化や粒状化した運び易い袋入りの有機肥料まで出回るようになった。昔と比較して色々と感じる人も多い事であろう。今日叫ばれる有機農業は、昔とは実質違って何か新しい形のものが生まれつつあるのでは・・・と感じる。


No,7 2005/1/1
  初詣で第一歩

 お健やかに、新春をお迎えの事と心よりお喜び申し上げます。今年は酉年。細木先生、如何な年でしょうかね? 人それぞれに違いましょうが、やはり努力はかかせませんね。
 旧年中の心残りも、新春の御屠蘇で心機一転。昔から我が家の恒例、初詣に氏神神社へ、先祖の墓参りへと、新春の祝福と感謝をすると心も改まり、今年の運気の力を頂く。清々しい気持ちになったところで市内の景況感を肌で感ずる為に百貨店は、耐久消費財の家具家電の売り場を見て廻る。客足やその雰囲気で景気の動向を感じるのも良い勉強になる。
 さてさて、農機業界の景気回復には如何な手段を・・・。時間はかかってもじっくりと腰をすえて皆で頑張らにゃ!


No,6 2004/11/17
  農水省の農業経営動行統計に思う

 農水省が2003年の全国農業経営動向の統計発表を出した。昨年の米価上昇で全国平均の農業所得は前年比8.3%増の111万円(新潟県は20.8%増の118万円)との事であった。
 それにしても農業所得111万円という数値を聞いてもピンとこない。これが企業会計で見た純利なら、大型化すれば相当の利益をあげられそうに見える。しかし、この数値の基礎となるものが現実性には不理解な面があり、趨勢を見る上での参考程度に留まっているのは誠に残念な指数である。
 たとえば、この調査の対象農家が経営面積30アール(1反)以上、あるいは農産物販売額、年間50万円以上となっているが、経営面積30アールでは畑作農家やハウス農家では経営対象としての適格性も考えられるが、水田農家ではまだ経営対象にいれるにはどうかと思われる。更に、年間50万円以上の販売農家というのも、今ひとつ対象農家に取り上げるのはどうだろう。経営農家を対象とする点では経営面積、販売額についての調査基準を見直し、且つ作物別規模別での区分にも踏み込んで資料として解り易い内容に願いたいものである。
 また農業所得についても農業粗利益から農業経営費を差し引いたもの(純利益)として計算されているが、差し引いた農業経営費の中で労務費(35%前後)が含まれている。問題はこの労働費については会社組織の場合はその企業の経費として計上処理されているものであるが、生業に近い一般個人農家の所得実態としては可処分所得として農業所得に加算される内容のものでないだろうか。農水省の大型農家による規模拡大策にはこの点企業体と個人所得との利益配分区分の明確化をどの程度進めようとしているのだろうか。これも農業改革を進める上で大きな問題の一つではある。


No,5 2004/9/24
   稲刈りも終わり、秋空の田園をそぞろ歩きする。さわやかな風が頬にさわる。不意にカエルが飛び跳ねた。よく見るとカエルにも色々な個性がある。体の大小、色、様々である。今度は何色のどんなカエルが飛び出すか?・・・と興味が湧いてきた。
 そういえばお米は真っ白で、米だけなら見分けがつかない。もっとも、赤米とか黒米だとか、古代米など白米とは違う種類のお米もあると聞いている。日本の米つくりのノウハウは100%完成しており、植付け、適地適期の肥料・防除・刈り取り等、処方箋通りに行なえば天候異変さえ無い限り、ほぼ確実に収穫できるまで研究が進展した。しかし、今までは美味しい米つくりに重点が置かれ、色彩や形状まではほぼ無頓着ではなかろうか?真っ赤なお米や、ひょうたん型のお米、赤、青、緑、黄・・・と原色に近い鮮やかな色のお米でも開発研究して世界特許をとって、海外へ多いに輸出するくらいの事をやっても良いのではないだろうか!新しい分野の需要を発掘して世界に羽ばたく・・・!そんな稲作農家の元気な顔を見たいものである。


No,4 2004/8/27
    田園の彼方、夜空に彩られた各地の花火大会も終わりに近づき、いよいよ農村で一番の喜びの沸く、稲刈りの時期を迎える。一時の天候の心配もあったが、ほぼ平年作は採れる予想とか・・・。
 それにしても、7月13日の水害地はまだまだ大変で、未だに二階住まいのお家も多い。復旧には程遠く、被災者の方々には誠にお気の毒な限りである。
 今年の新潟日報の読者投稿欄、「窓」に農薬問題についての様々なご意見が載った。田植え後の稲が生育していく過程で、多くの方々がこの広大な美しい稲作地帯に深い関心を持っておられる事が窺える。お声の中身には、田んぼの畦みちが、農薬使用によって縦横に茶色っぽくなってしまい、昔の新潟の美しい青々とした田園風景が見られなくなってしまって寂しいという声やら、農薬の管理・使用についての苦情やら、またその反論・・・と農薬使用者側と安全重視の消費者側とにご意見も二分されたかたちとなっている。これらのご意見を拝見して願う事は、それぞれの側の言い分もわかるが、やはり農家(生産者)あってのお客様(消費者)であり、消費者(お客様)あっての生産者(農家)であることを忘れないよう努めたいものである。


No,3 2004/7/15
    誰もが思いもしなかった、河川の堤防決壊が新潟県で起こり、多大の被害が発生しました。被害を受けられた方々に心からお見舞いを申し上げます。一日も早く、復旧作業が行なわれ、元気を取り戻されるよう、心からお祈り申し上げます。
 昔、小生が就職も決まり入社したばかりの年でありました。ちょうど今ごろの暑いころでした。出社した朝、急遽「これから有田川決壊の被災地へ行ってくれ!、生水だけは飲むな!後は現地で・・・」と一言注意を受けて、その足で大阪は難波の南海電車のホームに向かうこととなりました。集まっておられた数社の技術者の方々と合流して現地に赴きました。地元のお店の指示で数班に分かれ、暑い中、巡回修理サービスについて回った事を思い出します。
 石がゴロゴロした中に埋まった機械を炎天下の中、掘り起こし機械の再生をして廻るのですが、そんな中で鮮烈な思い出があります。河原のようになってしまった場所で私が機械をいじっていると、小学生低学年くらいの男の子が寄り添うように見ているので声をかけますと、両親も兄弟も流されてしまって自分ひとりだといいます。何とも、どうすることもできなく、自分の心の中に埋没してしまっているうちに、その子は居なくなってしまったのですが、今でもこの悲しい思い出が炎暑の中に浮かんで参ります。
 災害地の皆様の、一日も早い復興をお祈りせずにいられません。頑張ってください。


No,2 2004/5/22
    スーパーのお米売り場に、何種類ものビニールの小袋に発芽玄米と印刷された1kg前後の小袋を見て、驚いた。 60kgに換算したら「えーと」、ビツクリするほどのお値段になる。同じお米の玄米も、健康食品と名のつく「発芽玄米」とすると、大変な出世をするものである。そういえば、この春、ある展示会で、「MK発芽玄米機」を出品してもらった。やはり食の安全、安心に対する関心は農村地域も、都会の人たちも、まったく同じ様である。ただ説明を聞く人、買われる人は台所を預かる女性ばかりだった。
 最近、農業機械以外の商品で、農家のご主人以外の人を対象に商談をして、売れている商品がやたらと増えてきている。低温貯蔵庫はお爺さんや奥さんが購入権を握っているようだし、特に保冷コメビツや、発芽玄米機などは台所責任者の奥さんが承知しないと、商談は成立しないと言われている。
 こうして売れているのを見ると、これらの商品は女性相手なので案外に、むしろ女性の店員さんの方が上手に決めているケースが多い。客層が違えば商品も、商談する店員さんも、それぞれ手段の取り方にひと工夫が必要である。いわばこれが発想の転換か・・・?



No,1 2004/4/28
   戦後から続いた農業の枠組みが、食生活の変化から、やがて既存の農業体制にまで変化を与える大波が寄せ付けています。戦後竹の子の様に繁栄した農機業界も、トラクター、コンバイン等、高性能機械の出現で田植えから収穫作業まで、人の手に稲を握る事も無く機械化ができる夢の農作業が実現化する時代になりました。まだまだ今後IT化で農業環境は変わっていくでしょう。そんな中でこれからの農業は消費者のニーズにあった、農作業、農作物作りがまず基本だと思います。安全でおいしい作物作り、他者にまけない作物作りが大切となるでしょう。私共の会社も同じようにお客様のニーズにあった商品作りに、また故障のおきない安心して使っていただける商品提供に、毎日毎日の仕事の中で努力を重ねている次第です。



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