弊社は新潟市から内陸へ18km、JR信越線「新津駅」から徒歩10分の所にあります。写真のちょうど駅裏に位置します。「花と緑と石油の里」として豊な里山を有しております。日本の石油王と言われた「中野貫一」のふるさとでもあります。又信越線、磐越西線の分岐点として古くから鉄道の町としても栄えました。現在でもJR東日本車輌工場があり首都圏の電車はここ新津で生産されております。
 弊社の創業は大正2年4月となります。脱穀機の研究開発が始まりでありました。当時の農業は全て、人力、畜力にたよるもので、機械化はまだまだこれからという時代でありました。そうした中で、稲作地帯の新潟県には数多くの脱穀機メーカーが誕生して行きました。弊社もその中のひとつであります。
 創業者、吉田富治(明治22〜昭和48.12)は脱穀機の研究に心血を注ぎ、動力用下扱式脱穀機を完成させました。その後も幾多の発明考案を実現させ、昭和30年には吸引式自脱開発により紫綬褒章を受章しております。

 地元新津からとった「ニイツ式脱穀機」のブランド名で、数々の受賞の栄によくし、昭和40年代前半まで全国各地へ、遠くは東南アジア方面まで出荷しておりました。
 弊社発祥の地、「新津市」も平成17年3月21日には新潟市と合併し広域政令指定都市に向け新生「新潟市」として新たなスタートを切りました。左の写真は昭和30年代、脱穀機全盛時代の懐かしい写真であります。
 昔の吉徳のロゴマークに見覚えはありませんか?
昭和30年当時の脱穀機生産風景 昭和30年代 主力の脱穀機


 全盛を極めた、脱穀機の時代もコンバインの登場と共に終わりをつげました。食料増産の時代背景と共に、農業機械も耕運機、トラクター、田植え機・・・と大型化していく中で、弊社は小型農業機械の開発に活路を見出していきました。
 平型乾燥機、縦型乾燥機、トレーラー、育苗機・・・といった製品を次々と世に出していきました。 
立体乾燥機(昭和30年代後半) トレーラー(昭和40〜50年代) 育苗器(昭和50年代)



食生活の変化と共に、米あまりから、時代は減反政策へと移り変わっていきました。農家の高齢化とあいまって、省力化、より楽に・・・より軽く・・・をコンセプトに、アイデア溢れるユニークな製品を、多品種少量生産で次々と発表して行きました。
 除草機、ドレンプラウ、溝切機、砕土機、スチール唐箕、揚穀機、コンビ、催芽器、混合機、ダンプ、足踏み脱穀機、リバース混合機・・・等、多くの製品がこの時代に生まれました。
 下の写真は除草機、溝切機、リバース混合機の開発当初、第1号機の写真です。
動力除草機(昭和50年代) 動力溝切機(昭和50年代後半) リバース混合機(昭和60年代)



 
 今、時代は食の安全・安心、環境への配慮、品質といったものへと変化して来ております。時代の流れにあわせ、少しでも農業の発展に役立ち、農家の皆様に喜ばれる製品を今後も開発してまいります。21世紀の吉徳農機にどうぞご期待ください。


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