吉徳農機/溝切機/除草機/リバース混合機  NO.26

h20.01.28

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。クリスマスを新潟でしたいと里帰りしていた娘家族も七草粥を頂くと子供の学校が始まるのでと、あたふたと帰り支度をした。夜行列車を見送りしたあとは、急に我が家は静かになって寒さの感じる1月の新潟に戻った。福袋買いに走った荷物を送り返す手配や、夜具の片付け等々何かと気せわしく後始末の手伝いに追われているうちに早や、あずき正月の日を迎えていた。今年の正月も成長する孫娘の顔を見て娘家族と共に明るく幸せな年になるだろうと感じられた。
 孫娘がおじいちゃんにプレゼントといってくれた封筒を開けてみると懐かしい生まれ故郷の写真入りカレンダーが数年分入っていた。今はもう見られない西陣、北野千本界隈の風景入りカレンダー、もうとっくに小生の脳裏から消え去りつつあるものを蘇らせるものだった。日本最初の日本映画を目玉のマッちゃんこと、マキノ監督がこの西陣千本の町で起こした。そしてこの千本を日本最初の市電(通称チンチン電車)が横切り、堀川通りから下は四条西洞院通りを下り、京都駅まで走る。よく母親に連れられ弟と共に京都大丸へ買い物に行ったり、就職して通勤に揺られた頃など思い出されるが、それも昭和37年7月には廃止となり、更に昭和47年1月には京都市内の電車はほとんど廃止されバスに変わってしまった。変化はそれだけに留まらず、思い出がいっぱい詰っていた西陣の伝統の街までも洋風化とモータリゼーションの波に洗われて表通りの商店街はすっかり昔の面影が消え伏せ、裏通りの伝統的な織屋風建物も住宅風家屋に衣替えしてしまった。夏の風物詩として町内の織屋の旦那衆が作る有名な糸人形展も建物が消えると共にこの伝統的作り物も見られなくなった。
 カレンダー写真を見ていると思い出は尽きない。親・兄弟、毎日遊び騒いだ子供の頃、小・中学校の友達、終戦、物価狂乱、大阪就職、遊んだ青春時代等々、転勤で新潟に住んで32年。ご縁を頂いて吉徳農機に勤めて26年。今も勤めさせて頂いて感謝は尽きないが、新潟が第二の故郷となっていつの間にか古郷の移り変わりに疎んじてしまったが、生まれ故郷はやはり心の古郷として残しておきたい気持ちは今更乍ら強く感じる次第である。今、新潟県でもどの町の商店街にもシヤツター街といわれる現象が起き、山間地農村では集落が消える限界集落まで出ている。古き良き風習や伝統文化まで消えうせるような古郷にはなってもらいたくないと願うのは私だけではないと思う。

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